結婚へ導く事と結婚式への参加とは一線を引いておりましたが、3か月前に結婚式のご招待を頂きました。 お気持ちだけ有難く頂戴しますと一旦はお断りしたのですが、 家族への想い、特におじいさんへの想いが強く、元気なうちに自分の花嫁姿を見せてあげたいし、 そんな私たちの幸せな姿を見てほしいと、有難いことに何度もお誘いを頂き、 10月15日の結婚式に参加させて頂きました。
式にも参列させて頂き、お父さんとしっかり腕を組み、笑顔でバージンロードを歩く花嫁さんの姿を撮影、羨ましかったです。 正しくは、お父さんが羨ましかったのです。 私にも既に嫁いだ娘が二人いますが、残念ながらバージンロードを歩くことは叶いませんでした。
披露宴では、一番忙しい花嫁さんが誰よりも周りを盛り上げ、おじいさんと身体が少し不自由なおばさんに、 「大丈夫?後で一緒に写真撮ろうね」と何度も声を掛けて気遣いをみせているその姿に感動すら覚えていました。
花婿さんが外国の方ということもあり、準備のほとんどを花嫁さんがやっていたとのことで、みんなの前で丁寧な日本語で、 素直に「有難う」を伝える花婿さん。 また、彼のご両親もこの日の為に来日され、笑顔で二人を見つめていらっしゃいました。 彼と彼の弟、二人の息子を「自分がやりたい事をやりなさい」と日本に送り出した彼のご両親、それに応えて精一杯努力する 二人の息子たち、こんな素敵な家族とのご縁に思わず「ぜひまた日本に遊びに来てくださいね」と弟くんに通訳をお願いして お伝えしたところ、お二人とも笑顔で頷いてくださいました。
花嫁さんのお母さんも実は外国の方で、ほとんど日本語を話せない状態で来日されました。 持ち前の明るさでみんなの輪の中に入り、一生懸命努力をされた今では日本語(佐賀弁)ペラペラです。 花嫁さんの明るさは、間違いなくお母さん譲りだと確信しました。 そして無口で静かなお父さん、結婚された当時は異国の人との結婚に対して少なからず反対があったとの事です。 そんな中でも、決して信念を曲げることなく、お母さんをずっと大事にされてきました。 そしておじいさんもまた、反対することなく、身振り手振りで会話をしながら可愛がっていたとの事です。 また、幼い頃から体が不自由だったおばさんは、花嫁さんが小さい頃から我が子の様に可愛がってくれたとの事です。 家族みんなで支え合ってきた素敵な家族、国際結婚の先輩でもあるこの二人がこの結婚に反対などするわけもなく、 現在も花婿さんや弟くんを自分の息子の様に可愛がってあります。
家族が座る円卓のテーブルに、そっと置かれたおばあさんの遺影。 花嫁さんが生まれた3か月後に亡くなられました。当然生まれたばかりの彼女には会話は出来ませんでしたが、おばあさんが 薄れ行く意識の中で、「可愛がってあげられずにごめんね」と謝ってあったそうです。 おばさんが自宅から持ってこられて、「ばあちゃん連れてきたよ」と花嫁さんに伝え、笑顔で「ありがとう」と応える花嫁さん。 この世で出逢った時間は決して長くは有りませんでしたが、その絆はしっかりつながっていることでしょう。
そんな明るい花嫁さんが、唯一涙したご両親への挨拶も、お父さんが娘に伝え続けた「尊敬、信頼、思いやり」と 愛に溢れた言葉たちで一杯でした。
新郎のお父さんが外国の方なので、新婦のお父さんが代表でご挨拶をされました。 時々声を詰まらせ涙するお父さんを撮影しながらスマホ越しでもらい泣きをする自分を、ふと我に帰って客観的に見た時、 恥ずかしさよりも清々しさが勝り、これからはこんな涙をたくさん流せる人生にしたいと強く思いました。
帰りのお見送りの際に花嫁さんはまた、私に感動をくれました。 まずは、おじいさんとおばさんに後でまた一緒に写真を撮ろうと声を掛け、近くのベンチに腰を掛けさせ、次々に出てこられる 50人近くの友人の一人ひとりに、「ありがとう!気を付けて帰りなよ~」とお母さんみたいに声を掛けていました。
これからもこんな素敵な家族を沢山増やそうと心に決めて帰路につきました。
最高の一日でした。 これからも、ご縁結びに奔走します。